Manoaの人生

2024年09月04日

<キックが私の人生の幅を広げてくれた>

 学生の頃から、不思議な縁でキックボクサーを始め、タイでムエタイの神様と言われている、チャモアペット9冠王が引退後、日本へ来日。私の担当トレーナーとしてチャモアペットから指導を受けていました。(当時はキックを分からず始めたので、その偉大さを感じなかったけど、今思うと、とてつもなく恵まれてること。)

チャモアペットが来日して、初めて日本で指導してくれたのが、私だった。

当時(20数年前)のジムは男性ばかり。エクササイズすらほぼなかったような時代で、女性が気軽に今のようにキックをするような時代でもなかった。

 本氣でキックボクサーを目指している女性なんてほとんどいなかったし、半信半疑だと思われ、男の世界へ入ってくるな。みないな冷たい視線。そんな風潮もあり、見る目も厳しかったけど、何よりもキックが楽しい!

もっと上手くなりたい!夢中になれるものを見付けられ、私は青春を謳歌していました。

 初めての試合は、沖縄の米軍基地。数百人がリングを囲み、日本の試合風景とはまるで違う。

1R目すぐダウンしてしまい、何とか立ち上がり、2Rから攻める事ができたが判定負け。落ち込むどころか、盛大な拍手と鳴り止まない歓声。私は大柄な黒人さんの肩に乗せられリングを周る。負けたのに勝利した選手より、歓声が凄い!取材やら、祝杯やら、日本では決して経験できないことを学べた。

勝者だけが強いんじゃなく、スピリットに響く試合を届ける事の大切さ。そして、ファイトをリスペクトする。それが日本と海外の違いなのかもしれないと感じた。オーストラリアでもタイでもそうだった。

『戦うことは我慢し忍耐ではなく、心から楽しんでやる!』ことを学んだ。

 その後は、世界チャンピオンを数々輩出してきたジムで会長にお世話になったり、ジョーさんにも迷惑かけながら、練習を重ねた。

突如、テリー伊藤さんプロデュースのテレビ東京番組に、ほぼレギュラーとして取り上げてもらい試合は、眼底のケガやここでも話せない裏事情があり、これ以上関わることは辞めようと決意し、引退した。

 私にとって、キックの人生は多くのチャンピオンにも出逢えたし、素晴らしい会長にも出逢え、練習の厳しさよりも人との縁やキックを通じて世界を知ることができた。

 海外は実力次第で、チャンスを生かし、自分の努力次第で夢を叶えられる。努力した人を素直に称え素直に褒める!逆に言うと、実力が無ければ、厳しい世界。けれど日本のようなしがらみもなく、自分の氣持ちをストレートに伝え、YesかNoであいまいな世界はない。