お金は魔物なのか?陰陽の法則
あっという間に、一年の五ヶ月が終えようとしていますね。
六月は夏至・満月・新月と大きな転換期を迎える月となります。

今日はお金についてお話しします。皆さんは、お金持ちになりたい!お金に困らない豊かな生活を送りたい!それから、お金が何でも手に入ると思っている方いませんか?
お金は生活する上で、必要なものでお金が無くても幸せな生活を送れる!と感じる人は少ないと思います。
何でもそうですが、お金(紙幣)は循環し続けないと、淀んで自分の元に全て、陰が返ってくると言う事を覚えておいてください。
私の家系・親族ともに、一代で事業を起こし、財をなしている家系であり、幼い時から、色んな話を親戚の家へ行く度に、聞かされてきた事もあり、事業の大変さやお金への価値観を自然と学んでいました。
しかし、財を得れば得るほど、子が問題を抱えたり、健康を害したりしている姿を目の当たりにするのです。
また、古代文明を調べていた時に、知り合った末裔の方との関りの中で、その方は財を得ながらも、日本の芸術・文化を世界に広め、日本の良さをコツコツ人脈を広げ、日本の儀を守り、ご先祖(古代の神々)を敬い・大切されている方もいます。もちろん、その方は農薬や枠の危険性・日本人がどう洗脳されてきたのか?など裏の背景もしっかり読み解き、頭ではなく、直感で理解されています。その方は健康ですし、心の豊かさを知っています。
何を言いたいかと言うと、幾ら財を得ても、人の為に使わず、全て自分の得た収入は自分で使い、誰かの為に使おうとせず、紙幣を循環させないと、多くの確立で、自分の健康を害してしまう。または、自分の子に多大な影響が及ぶのです。
親戚だけでなく、私自身も人脈が広く、普段出逢わない方との繋がりが昔から私の特技と言いますか、ご縁を頂くことが多くあり、様々な方との関りの中で、最近になり自分の中で腑に落ち、結論付いたことです。
あれだけの財も地位も権力もありながら、我が子に一生を抱えるほどの苦労がある。

一生使えないほどの財があるはずなのに、財があっても足が不自由になり、どこへ行く事も出来ない。ひとり寂しく家で過ごしながら、家族すらバラバラになってしまっているから、手料理一つも食べれない。
最近、叔父から『寂しいから、また来てね!』と話す顔が目に焼き付き、頭から離れずにいます。
そんな現実を目の当たりに見ると、人生は何が?幸せで何が不幸せで、財があれば本当に幸せ??なのだろうかと、深く考えさせられるのです。
お金に苦労していると、お金があれば幸せになれると思うし、お金があれば、骨肉の争いや権力支配の中で、誰かを蹴落とす世界に入り、神経が心から休む間もなくなる。高級車や世界旅行・お手伝いさんを雇ったり、高級エステやサロンにも通える。けれど、そこには心からの安らぎや平穏さはあるのだろうか?と思うのです。
それなりに、家族が生活できるだけの収入で、家族が笑顔で食卓を囲んで、時には喧嘩したり、笑ったり・泣いたり、時には川や山へ行って、自然と触れ合ったり、ガーデニングしながら収穫した野菜をBBQして、わいわい家族でおしゃべりしながら食べたりする何気ない日常が人間らしく幸せなんじゃないかと思う。

高級なエステへ行って至福な時間を過ごしたいと思うのは、女性ならあると思うけど、それが毎日じゃなくても良いし、籠の中の鳥のように、お金があっても全て決められた中で生きている生活が、どれだけ苦しく、窮屈で、外へ伸び伸び羽を広げ飛びたくても飛べず、一生籠の中で過ごすのは、人間にとっても動物にとっても、苦しく、心が崩れてしまうのです。
陰陽の法則で、どちらかに比重が動き過ぎると、どちらかに重みがくるのです。ですから、代々末裔の方のように、人の為に尽くすことを忘れてはいけないし、自分の財を人に使う心の豊かさを持つべきだと思います。

それから、これは私が感じたことですが、代々スバ抜けてお金持ちではなく、一代で財を成す人は、表情は良い人に見えるのだけど、心の中で、どこか家族に非情さがあるのが、どうも拭い切れないのです。
だからこそ、家族の中で一番弱い立場の子どもに影響が及んでしまうのかなと思うのですが、これはあくまでも私見ですが、そう感じます。
子は、お金を与えられるのではなく、本当の愛を感じ、(特に母)愛されたい!それだけなのだけど、財ばかりに目が向くと、愛を忘れ、財を得た本人も愛に飢えてしまうのかもしれません。

『今日のメッセージ』
人生は、何が本当に幸せで、何が不幸と思うのは、人それぞれ違うけれど、お金があり余るほどあっても、それを何かに生かし、感謝の循環をしないと、陰が滞ってしまう。
損して徳を取れではないけれど、財より、人徳に勝るものはないのです。