学校の中での窮屈さ

2024年09月10日

私は幼い頃から、変わった子だった。というより、冷めた子だった。何で?大人はいつも忙しいのだろう。

 世の中の不平等さを幼稚園の頃から感じているような敏感で繊細な子だった。だから、毎朝、大泣きしながら、バスに乗せられていくのが日常茶飯事。私にとって幼稚園は、遊ぶ所じゃなく、厳しく勉強をさせられる場所と認識していたのだ。規律・勉強を重んじる幼稚園だったので、余計にそう感じたのだと思う。

 ある授業で、折り紙工作をしていた際、切り過ぎてしまい、お花が出来上がらない時があった。

先生は出来上がるまで、昼休み遊んではいけませんと。。みんなが園庭で遊ぶ中、私は必死で作り直した記憶がある。

今でも嫌な思い出として私の心に残っている。今思えば、失敗など大したことでもないのだ。

 けれど、それを許さない風潮の昭和時代。平成・令和と時代は変われど、受験戦争と言う名は残り続け、何十年に及ぶ勉強漬け。私は、そのレールに窮屈さ・無意味さえを覚え、また何かを悟ったかのように、ひとり図書館で本を何冊も読みまくる子に成長していく。

小学校卒業する頃には、全ての本を借りるほど読書に没頭していく。

あらゆる本を読み中で、私は一つ胸に引っ掛かる矛盾を感じたのだ。

何故?この世界中には貧困が存在していて、お金持ちが存在していて、そして、今日食べるご飯さえなく、死んでいく子がいるのだろうと。。この世界は決して平等ではなく、この世界は不平等だと。。たった8歳の時に、この世界の不条理に氣が付いてしまったのです。